雨の日は雨を愛す。

人生、晴れの日ばかりじゃないから、雨の日は雨を楽しむ。感謝する。
2014年に透析ライフがはじまった、言うことだけは綺麗で一丁前なぼくの透析ブログなのデス。フフーン。

言の葉

〈腐〉ーくさるー

今日の字は
腐


陽気がよくなってきたので、
夕食の一品に冷や奴を足した。
鰹節とネギと生姜を薬味に、生醤油で食べてよし。
軽く藻塩をふって、その上からごま油をかけて食べてもよし。
豆腐は頼りないようで、なかなか芸達者な食材だ。

よく豆腐を豆富と表すことがある。
食品に腐という字を使うのは好ましくない、という理由だが、
私には豆富という漢字がいまひとつしっくりこない。
京都などで1食3000円はくだらないであろう老舗の湯ドウフとか、
そういう高級なものにはきっと富の字の方が似合うのだろうが、
私は上等な舌を持ち合わせていないせいか、
そんなに高級な豆富とはあまりご縁がない。

スーパーで、高くてもせいぜい一丁200〜300円で売ってて、
そのまま食べたり、お味噌汁にぶっ込んだり、椎茸や人参と一緒に炒ったりできる、
ごくごく普通の豆腐がいちばんいい。
高価な豆腐をありがたがりながら頂戴するのは肩が凝る。

豆腐の腐という字は、付+肉。
付というのは倉を意味するので、腐は「倉にしまいこまれた肉」を表す。
つまり、倉に長い時間しまっておいたため、
組織がくずれてぺったりとくっついた肉ということだ。

豆腐も腐っているわけではないのに「腐」の字を使うのは、
豆腐を作る際に大豆をすりつぶし、組織を崩しているからとも、
形をしっかりとどめていない、柔らかい様子からきてるとも聞く。
どちらにしても、やはり、トウフは豆腐と書くのがいい。


豆腐以外にも、私が好きな腐という字を使った言葉のひとつに、
腐れ縁というのがある。
こちらがそうなりたいと願ったところで叶うものでもなく、
長い時間をかけて知らず知らずのうちに熟成された結果、生じるもの。
私にとって、それが腐れ縁だ。

間違ってはいけないのは、腐れ縁は決して悪縁ではないということ。
もともと腐というのは当て字に過ぎない。
「くされ」とは、繋げる、繋ぎ合うという意味で、
本来は、「鎖(くされ)縁」という。

まるで鎖でつながっているかのように、決して切れない間柄。
それが「くされ縁」だ。
なるほど、鎖なのだから、切ろうと思っても、なかなか切れないはずだ。
学生の頃にこのことを知ってから、くされ縁という言葉がとても愛おしくなった。

そして、これは私のただのこじつけなのだが、
どうしようもないくらい落ち込んだとき、悲しいことがおきたとき、
なぜかちゃんと私のそばに居合わせてくれる古い友人たちの顔を思い出すと、
ささくれ立ち、波だっていた気持ちが少しずつ穏やかになってくる。
 
私にとって彼らは「鎖れ縁」であり、「苦去り縁」なのだ。

 
 
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〈蝦〉ーえびー

今日の字は
蝦

ひとくちにエビといっても「海老」と「蝦」がある。
「海老」というのはイセエビのように水底を歩く歩行類。英語ではロブスター。
それに対し「蝦」はクルマエビのように浮泳する遊歩類。つまりシュリンプだ。
だから、厳密に言えばイセエビは伊勢海老で、クルマエビは車蝦となる。

ところで伊勢海老が鳴く、という話を聞いたことがあるだろうか。
驚くことに伊勢海老は「ギギッ、ギギッ」と鳴くのだ。
とはいっても、あの大きな触角を動かすことで、
触角の盛り上がった部位をこすりつけて音をだす、いわば摩擦音。
よくよく考えれば、鈴虫やコオロギの鳴き声も、
足や羽をこすり合わせた摩擦音なのだから、
海老が鳴いたところで驚くこともない。

伊勢海老は江戸時代の儒学者・貝原益軒の記した『大和本草』に、
「この海老、伊勢より多く来る故、伊勢海老と号す」とあり、
いわずと知れた伊勢地方の名物だ。
伊勢といえば、伊勢海老、伊勢神宮、伊勢うどんだが、
私はいつも伊勢というと、ひとりの女性を思い出す。

平安時代の三十六歌仙のひとり「伊勢」だ。
宇多天皇の寵愛を受け皇子を生んだがその子を早くになくし、
その後、宇多天皇の皇子・敦慶親王と結婚して中務を生んだ、
情熱的な恋歌で知られる女流歌人だ。

伊勢海老は、オスはハサミを持たないが、
メスは第5胸脚に不完全ながら小さいハサミを持っている。

多くの恋の歌を詠んだ伊勢もまた、胸に小さなハサミを隠しもっていたような気がする。

そして、会えない愛しい人や、自分のもとを去っていってしまった男性への思いを、
その胸の小さなハサミで切っていったのではないだろうか。
苛立や憎しみ、嫉妬や恋慕。
そういう余分なものを切り落として切り落として、
手のひらに最後に残ったものが、わずか三十一文字の歌になった。
そんな気がしてならない。



見し夢の思ひ出でらるる宵ごとに 言はぬを知るは涙なりけり

あの人と逢った夢を思い出す夜ごとに涙がこぼれてしまう。
   涙だけが、誰にも言わないこの気持ちを知っているのね。
 

 
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〈雨〉ーあめー

雨

2年前に買った筈のシャツを探しているうちに火がついた。
普段、だらしなくのんびりとした生活をしているせいか、
時々、発作のように「片付けたい病」に火がつく。
こうなると、朝から夜通しで、抽斗から押し入れまで
一気に片付け始めてしまう。
日頃から整頓を心がけていればこんなことはないのだろうが、
もって生まれた性分だから仕方がない。

一旦片付けはじめると、自分の部屋だけでは物足りず、
階下の仏間にまで手を出した。

仏壇の小さな抽斗を開けると、そこには亡くなった父の手帳がある。
父は定年退職後、わずか5年で急逝した。
その頃は母はリウマチを患い、
痛みがひどい時にはフライパンさえ持てない時があり、
父が毎日の食事を作っていた。
手帳には、その日に父が作った献立が日記のように記されていた。
亡くなってから、もう何度もこの手帳を見ているのに、
几帳面に並んだ文字を眺めていると、また涙があふれてくる。
まさか、翌朝には自分が死んでいるなどと思ってもいないから、
翌日に作ろうとしていた献立も書いてあった。
朝になってもなかなか起きてこない父を起こしに
母が寝室へ行ったら、父は冷たくなっていた。

手帳のページを見ていると、まるでセーターのほころびのように、
織り込まれていた筈の思い出の糸が、ずるずるとほどけていく。

父は「ひとさまに迷惑をかけるな」と私たち兄弟に教えた。
そのせいかどうか、弟はなんでも一人でこなせる人間になった。
母は「生きているうちにはどうやったって、誰かに迷惑をかけてしまうものだから、
   ひとにかけられた迷惑も、お互い様、と思いなさい」と教えた。
そのせいかどうか、私は大抵のことは、もうしょうがないなー、で済ませる人間になった。

毎週、日曜日は必ず両親と、祖母と弟、そして私の家族五人は揃って食事をした。
そして食事が済むと、そのまま家族だけの宴会になる。
父と弟がお酒を飲み、母と祖母がお菓子を食べ、私はいつも台所で酒の肴を作っていた。
こんな週末が、小学生の頃から、弟が結婚し家を出るまで20年続いていた。

雨という字は、
天の雲から水滴がしたたり落ちる形から生まれた。
でも、私はずっと
雨という字は、傘の下でひとが四人、雨宿りをしている形だと思っていた。
私にとって雨という字の中の四つの点は、
水滴ではなく、両親と弟と祖母の四人だった。
家という大きな傘の下で身を寄せ合っている、私の四人の家族に見えていた。

雨という字に、水の冷たさではなく、
温かさを感じるのは、きっとそのせいなんだろう。

 
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〈艮〉ーごんー

実は、それほど毎日毎日、おバカに暮らしてるわけでもないノデ、(←ここ大事!)
ネタのない日もあるわけですよ。
そんな日のために、カテゴリー「言の葉」を増やすことにいたしました。
気のむいた時にだけ書きマス。(でも面白くないヨ)自分でハードル下げました コソッ


で、今日の字は
艮

私がひそかに好きな文字に
良という字によく似た、「艮(ごん)」という字があります。
艮は占いの八卦の一つで、方位では北東を表すので、
「うしとら(十二支の方位でいう丑と寅の中間)」とも読まれます。
つまり、よく言われる「鬼門」の方角です。

もともと艮の字は、
「目+匕(小刀、ナイフ)」からできた会意文字で、
目に小刀で隈取(つまり入れ墨)をつけることを表したもので、
そこから、「止まる、とどまる、一定の処から離れない」といった意味を含んでいるのだとか。

艮は、ほとんど単独で使われることはない文字ですが、
普段からよく使う言葉のあちこちに、この字は隠れています。
忌むべき方角を表しながらも私がこの字を好きな理由は、そこにあります。

例えば「限」。限界、限度、無限・・・。
これは、丘陵や小高い山などを指したとされる〈こざと偏〉+とどまる〈艮〉。
つまり、決して動かない(動かせない)境界を表しています。

次に「銀」。銀色、銀盤、銀河・・・。
これは、金属を表す〈かね偏〉+とどまる〈艮〉。
時を経てもあまり変らない(要するに錆びにくい)金属、ということでしょうか。
でも私には、ワンランク上の金にいけずに、銀「止まり」なんて意味にも見えて、
先日のオリンピックでは、銀メダルの選手に必要以上の意地らしさを感じてしまいました。

「恨」。これは心を表す〈りっしん偏〉+とどまる〈艮〉。
いつまでも心の中に居座って消えない思い。それが恨みです。

そして「根」。根っこ、根本、性根・・・。
根は〈木偏〉+とどまる〈艮〉。
つまり根という字は、大地にしっかりと根をおろし、そこから動かないもの。
 
ふと庭を眺めると、大きな樹木も風に揺れる草花も、
その地中には根がいっぱいに広がっている。
そう思うと、植物の生命力に改めて感心すると同時に、
なんともいえない健気さを感じてしまいます。
そして、神社のご神木のように何百年も生きている大樹の根っこを想像すると、
そこには小さな宇宙があるような気がしてならないのです。

樹木は環境さえ整っていれば、何百年も生きていられるそうですが、
人間はそうはいきません。
いのちには「界」があるのです。
とどまり、そこから動かないという筈の「根」が消えてしまうことがあります。
「毛」という根です。
老いは誰にでも平等にふりかかってきますが、自分だけ毛根が弱り始めたら、
それはもうみ言のひとつでも言いたくなります。


 
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ぴぃ