ここんとこ連日のようにテレビやネットで
透析中止による死亡事件についてやっていますが。

まぁ、賛否両論あるのはわかりますけどね、
同じ透析患者であるボク自身が思うことをちょっくら。

天気がすこぶる悪かったりで、透析に行くのが面倒で、
「今日は休みたーい」と思うことは何度かあったものの、
「死んでもいいから、透析やめたい!」と思ったことは
幸い、まだ一度もありません。

透析をやめるということは、即ち「死ぬ」ということであり、
しかも、それが結構な苦しみを伴う、ということは知っています。

健康な人が1日に約1.5リットルの尿として出るはずの水分や、
一緒に排出されるべき毒素が、すべて体内に留まることで、
肺がむくみ呼吸が苦しくなり、
毒素が体中にめぐり尿毒症となり、やがて意識が混濁する。
これ、頭の中で考えただけでも苦しいわー。

それでもね、もしかしたら、というか条件さえそろえば、
ボクも自分で透析を中止するかもしれません。

今はね、
守らねばならない家族(母)がいます。
常に叱ってくれる大切な友人(先生)がいます。

少なくとも、その人たちのために、
ボクは苦しくなっても生きなければと思っています。

でも、或る日、そんな人たちが
ボクよりも先に逝ってしまったりしたら。

或いは、
本当に自分の体が透析に耐えられなくなってきたら。
(今でも週3回のうち1回は低血圧でブッ倒れているのですガw)

ボクは自分の意志がハッキリと周囲に伝達できるうちに、
透析をやめるという選択をするのではないかと思っています。

報道ではいろんなことが語られています。
そのひとつひとつの真偽が問題ではありません。

透析中止という選択肢を与えた医者を問題視する意見もあります。

でも、ボクは思うのですよ。

月に40万円近い医療費を国保や健保で支えてもらい、
家族や周囲に、どれだけの迷惑や心配をかけながらも、
それでも、
「透析をしながら生きていく権利」はあります。
でもね、
本当に辛いのに
「透析を続けながら生きていかなければならない義務」
もないのですよ。

とっても難しい、デリケートな問題だと思います。

でもボクは、いつかそういう日が訪れた時には、
できることなら自分の意志で、自分の終焉を選びたいと思うのデス。

残った数日間を、たくさんの人、すべての物事に思いっきり感謝しながら。

普段なかなかできないでいることなのですが、
自分で選んだ最後の数日を、そういう時間にしたいのデス。


あ、でも本当に苦しくなったら、
最後の最後はモルヒネ、できるだけブッ込んで、
出来る限りラクにしてください。と先生にはお願いしますケド。
(←ちっとも覚悟ができてない)

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